2015年08月07日

世界の一流品に学ぶ事(1)

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日本の伝統工芸やそのわざは、古来その品を届ける相手云わばユーザーを意識して作ってきた。
そんな中で技術だけではなくその意匠デザインも文化が加味された仕事がされている。

私は、漆の中でも蒔絵という仕事に興味を持ったのは、その事が古来からの名品に見えたからである。
小さいながら、江戸寛政年間からコツコツ漆業を繋いで来た工房を、蒔絵という仕事にシフトさせたのもそれが所以であり、世界に繋がっていく為にも、そこが重要であると思ったからだ。

長年周囲の漆に関わる環境を見ていると、漆芸をはじめとする伝統工芸は仲介者や商人に頼る状況が制作の現場まで変化させている事に危惧を感じて、産地の中でも色々な場で話をしてきたが、何も変化が見られない20年以上が経ってしまい、独自に海外に出向く事をここ10年ほどやってきた。

世界のものづくりは、今だに基本を大切にしていたから現在がある事を目にしてきた。
それは、エルメスやカルティエのブランドだけではなく、機械式時計や高級万年筆の制作の場は流石である。
しかも、それらは市場(個人ユーザーまで)を見据えた商品や仕事である。
技術を誇りにしてきた日本、日本を代表するメーカーは世界では名前は知られても商品そのものが二流になってしまっている事に自覚がない。
世界の一流のものづくりをもう一度しっかり見て欲しい。それはメーカーだけではなく、日本のものづくりを紹介しようとする紹介者にも、日本のものづくりの本来の良さがどこにあるかをしっかり見据えて、応援してもらいたいものだ。

(続く)



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陶胎漆器と輪島塗の事

NHK朝ドラ「まれ」でとり上げられた、業界上げて取組む「陶胎漆器」の事について一言。

漆塗として唯一国指定の文化財に認定された「輪島塗」の技術を大事にする産地が、新しいモノづくりとして選んだモノが「陶胎漆器」では????である。
しかも、陶器に漆や漆装飾する理由として役者に語らせた事が、次の事???
輪島塗の木の素地では作りにくい自由な形状が陶器素地で得られる。
陶器の冷たい素地を漆で和らげる。
従来なかった新しい模様デザイン。(だったらあの模様は????)

陶器のような自由な曲面構成では、輪島塗の技術の認定要件からしてほぼ無理。
布着せは当然だが、何層にも重ねられる「地の粉」と漆による下地工程が無理。
輪島塗は落下による痛みが軽減されるように工夫されているのに、素地が陶器ではその良さも無し。

漆や漆器のことを少し知っているものは、これらは常識の範疇で、まさか陶器の素地を「まれ」に選ぶなんて????

しかも漆は、化学塗料よりも素地の質感 特に温感を伝え易いのです。
だから、木を素地にするのは、木の質感や温もりを持つ人の手に伝えやすくしているのです。
ですが、木は断熱性があり、陶器の器よりも漆器は汁などが冷めにくい。それを良さとしている。

素地を陶器に、輪島塗の難しいチャレンジ????
輪島塗のような認定に縛られた産地ではなく、漆の塗りや吹付けによる技術を特徴にした産地が充分手がけている手法で、なんで輪島の産地が組合一丸になって??????

しかも、一人前の肩をいからした蒔絵職人が、塗師屋からデザインをもらって仕事をするなんて、ありえない事。蒔絵職人は技術だけではなくデザイン力が命です。過去にも現在もありえない事だが????

漆器にこだわる、また認定された文化財の冠に縛られる業界では、新しいチャレンジや世界のものづくりと繋がる事が難しいから、あえて職人たちが世界と向き合っているのに・・・・。
NHK担当プロデューサーに何も伝えない言わない産地業界は?????

それは、私は大切にしたいのは、輪島塗の認定技術その工程による漆器ではないという事です。
だったら輪島塗の技術や産地の事を気にする必要が無いと思われるかもしれませんが、

是非ともご理解頂きたいのですが 産地の技術専門分野の職人の連携があってこそ、色々な分野や緻密なわざと繋がり得るので、その技の基盤が輪島塗の技術なのです。輪島はそんな専門職に分業化された貴重な職人集団が今でも存在している唯一の産地である事。

目指す方向を同じにする人達とのものづくりの連携で、その最善を尽くし得る懐深い職人技です。それこそが輪島の産地の誇れる事です。
漆ProのProはプロダクツ(製品)から付けたブランド名で、漆の技術を現代の世界の製品と繋がりたい。
そんな思いを大切にしています。それが江戸時代からの工房の意地みたいなもの(笑)

今後は、もう少し肩の力を抜いて書いていきますので、お付き合いください。

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NHK朝ドラでの輪島塗のこと

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NHKファン、朝ドラファン、輪島塗や漆芸に関わる者として、どうしても我慢ならず、書き始めます。

NHK朝ドラ「マッサン」次は、輪島塗だ と半信半疑だけれど少しは期待していたのです。
今まで静観していたのですが、ここまでされたら、黙っておれない。
こんな書かれ方されたら、輪島塗や輪島のものづくりの本当の魅力が何も表現されていない。それだけでなく間違った表現が多く、これはNHKの番組プロデューサーだけの問題だけではなく、業界の認識不足や危機管理のなさが浮き彫りになっている。

30年以上前から業界で発言してきたが、輪島のような産地がどの様にして成り立ってきたか、先達の人達が時局を見据えて巧みに産地を守って育てて来たのか、大切な要点を見失っていたようだ。

そこで、漆の事に関心を持ってサイトにたどりつかれた方達に、伝統の技を守っている産地の職人を代表して、漆の事や金沢(工芸)の本当の魅力を書いていこうと思います。

よろしくお願いします。
posted by 漆ネット at 01:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月13日

海外のブランドやメーカーと 日本のメーカーのものづくりデザインの違いは、どこから

ここまで日本のメーカーの事を書いてしまうと、メーカーの方は何を文句言ってるかわからないでしょうから
パリの応用美術の名門校「エコール・ブール」の事を前に出しましたので、伝統工芸の技をいかしている欧州のメーカーと日本との違いがどうなのか考えるヒントになれば良いと思います。
「エコール・ブール」は世界各国から技術やデザインを学ぶ為入校しているそうです。
私は、パリやイギリスで象嵌を学ぶ方から聞いたのは、ルーブルの装飾品や家具など工芸品の修理修復の技術を継承させる役割ももっている工芸学校だと聞いていました。
エコールブール校内

エコールブール校内 2
古くから伝わる工芸に関する道具もありながら、最新の工具も使える環境で、もちろんルーブルをはじめとする美術が間近にあるから、技術だけではなく美術アートに学ぶ事も多いのだ。
工芸が技だけではなくデザイン能力も高められる要素は、エコール・ブールの教育方針にも所以していると考えられる。ちょうどメゾン&オブジェに出展していた期間に、卒業制作品展示でエコール・ブールが公開されると聞き、内緒だが展示会場を抜け出して、制作品や校内を見る機会を得たのだ。

卒業制作作品の写真の掲載は差し控えるが、フランスらしく工芸の技に加え、応用美術(欧州では必須)を学んだらしいアートを感じる作品が並んでいて、技術だけでは卒業を認めない校方針を感じた。

だから、ここを卒業した工芸職人は、ブランドの製作の現場やあちこちから卒業を待たれているのだ。
故に有力な企業やメーカーからの期待されていてメセナも受けている。

日本の工芸の技を教える環境とは、根底からの違いを感じる。
日本では工芸作家の登竜門は、伝統工芸展や日展をはじめとする美術展での受賞である。そこで文化庁が関わってくるのだ。一般企業やメーカーとは接点を持てるようになるのは、いろいろ障壁がある様に思う。

かたや欧州では卒業と同時にブランドやメーカーにスカウトされるようだ。
日本は作家を目指し、欧州や海外は能力があれば制作ポストが用意されている。

これらの違いがなんと、日本の企業が世界のブランドになりえない所以でないかと考えるのは乱暴だろうか。前にも書いたように、世界のブランドや分野は違うが、新興のアップルのモノづくりまで、何か大切なものづくりの要素を共通して持っているように思う。
あの、となりの国のサムスンが危ういのは何故かを、日本のメーカーは気がついているはずだが、ひよっとして気づいていない??
かも知れません。

ルーブルの修理修復の技術を教えている 「エコールブール」の情報
エコールブール
フランス大使館での紹介ページ
http://www.ecole-boulle.org/
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2014年07月11日

「輪島塗の産地から漆万年筆 新発売」 <6>他国の万年筆と比較して

AP社の蒔絵万年筆の事を書きましたので、その万年筆を紹介します。
インドは欧州とのつながりが昔からあり、Penに関しても歴史があります。欧州市場を意識していますので、当然日本の蒔絵技術に関しても魅力を感じていたはずです。
これらの蒔絵は、ヒンドゥー教の神 ガネーシャなどを描いたもので、蒔絵としては技術もですが、AP社のロシアのカラフルなデザイン色調に挑戦させた力作です。(個人的には好みではないが)
pen-ap.jpg

だが、これは日本の蒔絵装飾を全面に出したものですが、明らかにインドの万年筆です。

このように、蒔絵はプロデュースによって色々な表現ができるのです。何故日本のメーカーは日本ならではの蒔絵装飾技術を、現代の日本文化やデザインと融合させ伝統技術を進化させた、こころときめく素敵な万年筆を作れないのでしょうか。
そこが、筆記具メーカーだけではなく、時計メーカーや電気メーカーをはじめとする日本のものづくりを危うくしているところではないか。

(続く)
posted by 漆ネット at 06:02| Comment(0) | 職人 工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月10日

「輪島塗の産地から漆万年筆 新発売」 <5>日本のメーカー奮起を

今までは、そんな蒔絵や漆芸装飾が漆器の分野では発揮しにくくなった現代において製品に取り入れてもらえているP社やS社のメーカーには感謝していた。
だが、海外の展示会に出展したりバイヤーに会って直接世界のメーカーの
高級万年筆の事を教えてもらった頃から、考え方が変わった。ファンでもあった
N万年筆の最近を見ても、心がときめかないのである。

カランダッシュや海外の万年筆デザインを間近に見せてもらい、カルティエのプロデューサーに出会いお話を聞いたり、ルーブルの修理修復の技術を教えているエコールブール
フランス大使館での紹介ページ
http://www.ecole-boulle.org/の現場を見たり、スイスの時計工房の技を目の当たりにして、世界のものづくりと日本のものづくりコンセプトの違いはどこから来ているのかなど、考えさせられる機会を得て、色々な事が見えてきた。
それは、ものづくりに大きく影響をしている。海外のモノづくりは互いに刺激し合っているが、日本のメーカーのそれには、乖離さえ感じるのは私だけであろうか。

残念ながら、ペンメーカーの装飾には期待を抱くから逆にがっかりする。そこには日本らしいが本当の「日本のものづくり」を感じない。
だから今までは万年筆装飾には興味がありながら、関わろうとしていなかった。

だがインドのAP社やアメリカの新興メーカーの蒔絵万年筆を見つけてから、俄然メラメラと万年筆の装飾に関して、メッセージを出すことにした。

日本の文化の源は、琳派の時代を見ても判るように工芸や美術はその時代の文化と密接に繋がっていた。情報を得やすい世界とも繋がっている時代でありながら、現代の日本のモノづくりに関しては、お粗末さを感じる。とくに工芸装飾に関しては技術や伝統に囚われすぎているのではないだろうか。はたして時代が違うと言い切れるだろうか。

アップルのモノづくりに触れてみたが、このグローバルの時代ならではの製品作りである。
日本のメーカーはもう一度原点に立ち返りものづくりを考えてほしい。日本ならではの技や装飾技術を活かすのならば、「日本人のものづくりを見てくれ」と自信を持って言えるものづくりをしてほしい。
日本のDNAを感じる、現代に昇華したデザイン、こころときめく素敵なモノを作って欲しい。それは単に一時代の美術を取って付けるのではなく、現代の日本や目指す理念を感じるようなものづくりを作り出して欲しい。

(続く)

普段ヘッドルーペの仕事の中で、色々な技やアイデアが工房の中で湧いてきます。
そんな意外な装飾をスマホカバーで楽しんでいます。
かたい話の合間に肩をほぐしてください。
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2014年07月08日

「輪島塗の産地から漆万年筆 新発売」 <4>世界の万年筆と日本の蒔絵万年筆

「輪島塗の産地から漆万年筆 新発売」 <3>世界の万年筆と日本の蒔絵万年筆

万年筆を漆や蒔絵で飾ろうとした松田権六氏は、世界に漆器を使ってもらえないかもしれないが、印鑑ではなくPenでサインをする世界では、万年筆こそ漆芸の技や装飾の良いステージだと考えたのではないかと推測する。

だが、日本の現状を見ると、世界の会社や宝飾などのブランドとはどうも異質なように感じるのは、私だけではなく世界の高級品を扱っているバイヤーからも聞こえてくることなのです。

1010をご存知の方は、日本の装飾万年筆と比べてどう思われるだろうか。
蒔絵万年筆の多くの装飾は、流通を考えた量産の品は別として、日本の美術や古典を使っているが、消化しきれていないデザインが多く、とりあえずは緻密な技を魅せようとしたものなど、色々な万年筆が作り出されている。

ものづくりには、プロデュースが必要で、過去の名品や素敵なものが作り出されたのは、良いプロデューサーがいたからである。Caran d'AcheやCartierがつくれるPenを日本のメーカーは何故作れないのだろうか?

蒔絵のファンとして残念に思うと漏らされたパリのお店のオーナーの声が耳に残る。
また、今密かに、海外から日本の漆芸装飾を使った色々な商品企画が持ち込まれようとしていることを、日本のメーカーは気づいているはずだけれど・・・・。

(続く)
posted by 漆ネット at 15:21| Comment(0) | 職人 工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月04日

「輪島塗の産地から漆万年筆 新発売」 <3>「わざ」単体では光らない

輪島には漆に関する優れた「わざ」があることやその技術が高められた歴史を話してきたが、技術があってもそのわざを生かすステージがなければ、産地は尻すぼみになる事は明らかだ。
江戸時代からの先祖の家訓や工房に残る仕事道具などを感じながら、仕事に向き合って長く仕事していると、色々な事が見え客観的な見方ができるものだ。

昭和の高度成長期の産地の繁栄、さらに平成になると、全国からの色々な特注の仕事の中で、蒔絵装飾の可能性は漆器以外にこそ多くある様に思えてきた。

話は、産地の業態の変化の事にふれてみよう。輪島は産地の現場の努力で作り上げてきた産地でありながら、日本の昭和後期頃からの、他者の販路を頼る業態変化がもたらした事は大きい、高級漆器として輪島塗のブランドイメージがさらに高められて、従来なかった高級漆芸美術品の製作の機会を輪島が得たのである。
だが、それらは漆芸の名品が生れた、漆芸技術の基盤が出来た室町から江戸にかけての漆芸の時代とは、介在者が違うことから、そこから生まれ出るものも違うはずと思っている。

また、良い事ばかりではなく、昨今の状況になる事が、30年前からすでに危機を薄々感じていた。
その事が、欧州や他分野との接点を求めようとした取組に繋がる。

世界が注目する漆芸装飾の魅力


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2014年06月30日

「輪島塗の産地から漆万年筆 新発売」 <2>輪島漆器産地の技術は如何にして高められたか

前回に続き、歴史を紐解きながら、輪島漆器産地の技術は如何にして高められたかという事を考えてみた。

輪島は、古くから『廻船式目』に書かれている様に、日本の十大港湾都市であった。

その繁栄は、大きな商人がいたわけでもなく、地道に塗物を商いする小規模の工房塗師達の
努力と勇気がもたらしたものであったと推測する。
明治38年の町の地図が有り、そこには各家の職業が書かれた市勢が読めるめずらしい地図には
漆器関係する家が本当に多く占められているのだ。我が工房のように小さいながら、
江戸時代に、江差や小樽との交流が古書に記されている事が興味深い。

他の漆器産地形成の歴史を読むと、やはりそれぞれ基盤によって違いが見える。

輪島は、直販での営業が主であった為に、江戸から明治の時代の変化や
財閥解体などによる影響をまともに受けなかった事が幸いし、
明治大正頃から戦争の混乱期になるまで、漆の仕事はそれなりにあった。
それは、輪島の産地の加飾の技術である蒔絵や沈金の技術がその時代に
かなり高められていた事が記録されている事からも産地として単価の高い
高級漆器としての仕事の受注があった事が判る。
一般漆器から高級漆器の受注が出来る様になったのは、筆者は独自の推測を
もっているが、その件に関しは別の所で書いているので、ここでは略します。



万年筆を敢えて、輪島塗の産地から創り出す。という
本題に入るまで、少し長くなりますが、何とぞお付き合いください。

(続く)

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2014年06月26日

「輪島塗の産地から漆万年筆 新発売」 <1>輪島の漆器産地の歴史

「輪島塗の産地の漆芸技術」の重要性を考える為に、輪島塗の産地の歴史を考えてみた。

輪島塗の歴史は古いが、江戸時代から北前船の廻船交路を頼る
全国に向かっての塗師屋(塗工房)による営業活動が盛んに行われた。
納品時には、顧客からや縁者を頼り、次の仕事を受注し帰郷するのである。
そのためには、納品に満足してもらうために、また他産地の競合品にも
十分対抗できる様に、仕上げの技を高めていたそうである。

色々な文献や知識者による、輪島塗の歴史が著せられているが、当工房の
先祖からの言い伝えや手書きの古書などから、推測される事から、

全国の漆器産地にない特徴が伺える。
古くから漆器の技術が育成され産地とした基盤ができるには、条件が
整わねばならない。多くは大名、京では寺社公家文化が担った。

地方の工芸産地の形成においては、その領土を治める大名や有力な
領主が関与していた。
税の対象として米農作物もあったが、その土地の物産による
収益も大切で、それらの振興により 領主だけではなくその土地に
住む民も豊かになった。

だが輪島塗の盛んとなった頃は、加賀前田藩はどうあっただろうか。
実は、能登の塩づくりが重要な能登からの収入源であったようだ。
輪島は江戸半ば頃まで素麺が輪島塗以上の産業だった事が昔から聞き
伝えられている。

では何によって輪島が漆器産地として盛んとなったかであるが、主説は 門前町に
全国に多くの宗徒を持つ曹洞宗本山「総持寺」(現在本山は横浜鶴見に)があった
からとされる人が多いが、輪島の宗派は浄土真宗門徒が多く同宗派の寺も多いのである。

(続く)

輪島塗の産地から漆万年筆を発売
posted by 漆ネット at 23:01| Comment(0) | 職人 工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする