2015年08月12日

世界の一流品と日本の製品

世界の一流品といわれるブランドメーカーの商品やものづくりは、自分たちの商品はこの様に作りたい。またこうあるべき、とした商品コンセプトをしっかり持っている。
また、新作に関してもそのデビュー待っている顧客を常に意識している様に思う。

私は、スイスのバーゼルをはじめとする高級装飾品の発表の場や、欧州での制作の現場を実際に見る機会を持ってみると、日本製品に、どうしても疑問を持たざるをえないのだ。

100年以上前の海外で開かれた万国博覧会で紹介された、日本の工芸の気迫はどこに行ったのだろうか。
それらの工芸はデザインはともあれ、技術は世界の人達を驚かした。前にも書いたように海外の有名な工芸家や画家に影響を与え、欧州でジャポニズムを生んだ。その当時の日本の工芸家や職人達は、今まで自分たちの装飾や技術を認め対価を払って制作品を求めてくれていた、大名や元禄の時代の商人達が、幕府が倒れ時代の変化から、今までの仕事先を失って、相手が見えないながら日本の政府の意向もあり海外に販路を広げるために、海外の万国博覧会に活路を見出そうとしたのである。
その事は輪島のような地方の小さな町にもその足跡が残っている。

その様な時の出品は、顧客が見えないので、技術の粋を尽くした作品や、とりあえずわざを見て欲しいという出展であった。だから名工や工芸家として名の通った名品もあったが、デザインと技のバランスの良くない物もあった。

何を言おうとしているかというと、相手が見えず制作された物には何処か違和感のある制作になってしまうものであり、制作物にその技を使う根拠さえ見失って、その技だけが独り歩きしてしまう事もあるのだ。

どうもこの頃の日本のメーカーの世界市場を狙った製品に、そんな傾向を見る。しかもその技自体が?なのだ。
しかも、エンドユーザーと向き合うのではなく、売ってくれる販売業者を意識しすぎている様に思う。
その点、世界の名品を生み出しているブランドや工房の制作には、自分達の制作品を待っているエンドユーザーや、その人達と繋がっていて、自分達のものづくりの良さを十分理解しているバイヤーと向き合った仕事をしている。
また、現在の日本の仲介業者の見極めの甘さや認知度の低さもものづくりの現場を狂わしている。
そんな事を警告する人がいるのだろうか。もしもそんな声が聞こえてきても、修正できないほど制作の現場とマーケッティングのバランスが崩れているのだと思う。それが日本の大手のメーカーの製品にも感じられる。

次回から伝統工芸に戻って書く事にする。
posted by 漆ネット at 23:50| Comment(0) | 職人 工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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