2015年11月30日

金沢に外国の旅行者が多い事のは何故

北陸新幹線開通後、金沢に海外から旅行者が多い。

金沢地元では、外国人の旅行者が多いワケが、単に北陸新幹線効果と金沢の知名度が海外でも高くなっていると思っていたようだが、開通後8ヶ月も経ってから、「ジャパンレールパス」という海外の旅行者だけが、安く購入できる列車周遊チケットの利用者が多いと報道された。
知り合いの「ジャパンレールパス」を扱っている業者から聞いた事だが、2週間のチケットがよく売れているようで、距離ではなく期間であるため、東京から新幹線で行ける少し離れた観光地が訪問先に選ばれるのだ。

来年北海道新幹線が開通したら、想像以上に外国人の旅行者が減る事が掴めていない様に思う。
地元に住む人が本当に誇りに思う「金沢の魅力」をしっかり情報発信できているのか少し心配でもある。

石川で漆芸の仕事に就いているものとして、金沢や能登を訪ねるみなさんに工芸探訪のコンシェルジュ プログラムを準備している。
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2015年11月29日

塗師藏の古書「農商普通用文」に関して

工房に残っていた塗師藏の名残物に
古書「農商普通用文」の事を書きましたが、地方の塗師職の主が常用していた手引書だから、日本各地で読まれた本だと思うが、Webで調べて情報が見当たらない。
判るのは、 勝木為重 1886年(明治19年)(編集)という事だけだ。
先代もこの本に関しては詳しく判らなく、ただ明治2年生まれの祖父の前からのものだと聞いていた。
それからして、明治19年は初版ではないのではないだろうか。

出てきたのは、江戸時代からあった仏壇の中であり、その古書の残っていた表紙の見かけから明治19年は初版とは思えない。機会があったら詳しく調べてみたいものだ。

posted by 漆ネット at 12:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHK朝ドラ「あさが来た」で明治の商いを考える

朝ドラ「あさが来た」はその時代の豪商や有名な実業家を取り上げているが、地方の小さな町のその時代はどうだったのだろうかを考えるきっかけを持てた。
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拡大してみると
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 天保4年の津波の被害や、明治の43年の大火で母屋が失って色々な書物や書類は失ってしまったが、塗師藏にわずかに残ったものは塗師道具と過去帳や屏風だった、写真には仏壇の奥にあった「農商普通用文」商いに関しての手引書として知られる古書や江戸1849年生まれの初代武七の名が書かれた覚書帳の表紙や顧客からもらった手紙、更に古い注文書など、中には朱塗り20人前の膳や椀等色々記載されている。屏風の下張りに入っていたから残った物だ。
中には、輪島が素麺の産地であった名残の素麺の袋など、不思議に色々な物が無造作に入っていた。
屏風の下張りの事を聞いたことはあるが、身近なものとなるとできるだけ判別できるものは解読し添え書きを付けて、子孫に残しておきたいものだ。

この様なブログを書き始めているのは、漆の事を繋いで行こうとする人達に、残したい事があるからだ。
漆というしかも唯一国指定の重要文化財に指定され、他産地に類を見ない、下地塗り工程に工夫や技を注ぐ事が出来たのは何故かを考えて見よう。
その事は、輪島塗の業界のパンフレットや漆芸美術館の資料にも書かれていない。

その話は次回にします。

漆芸全般の事Webサイト(公開からもう25年ほど)もご覧下さい
「漆ネット」
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2015年11月28日

NHK朝ドラ「あさが来た」を見ての気づき

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ドラマに使われた豪華な蒔絵化粧箱と同等の写真を掲載
これは、油小路三井家の家柄相当の、蒔絵化粧箱(鏡箱)を部屋隅に置いたシーンを作ったのだろう。大名道具であるような豪華な品である。

工房の道具には昔から家に在った物をよく使っている。金粉を入れる箱をあらためて見ると、昔から不思議に思っていた箱の上部の穴であるが、その謎がわかった。
たしか櫛などが入っていた物だと聞かされていたが、ドラマで写真の様な道具を見つけて、その穴の事を思い出した。
調べてみると、江戸時代の庶民の生活にも豪商や名家の特別の蒔絵ものではないが、漆塗の鏡箱があったそうだ。そうだと知ると、江戸時代の工房の様子が現実味を帯びてくる。

その工房の金粉を入れる箱として使っている箱の写真を掲載します。
蒔絵もありませんが、箱の引き出しも中から外まで全体を丈夫に漆塗りされていて、蒔絵師の道具では見られない特別仕様で工房の宝物だ。

その道具箱は、以下のものだ。
上部に穴が開けられている。引き出し上に扇形の刳りが見えるが、実は裏側に同じ高さにおなじ刳りがあるのだ、移動させる時に指が入り持ちやすくなっている。それが扇形だ、粋な細工である。
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工房のwebサイト
http://makie.urushi-net.jp/makie/

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再びMade in Japanの危うさについて

昨日(11月27日)経済ニュースに「韓国LGが有機液晶で1兆円の投資を決めた」と報道された。
日本ではシャープの衰退が伝えられているが、高品質のスマホ液晶などに関わっている会社がまだあり、アップルの業績と比例して少しは、日本の経済にも良い影響を受けていた。

だが、次期iPhoneに有機パネルが採用されそれに向けたLGの投資だと思う。
サムスンについでLGの攻勢、日本のメーカーはどうなっているのだろうか?
どれだけ技術が良くても、営業力が無ければ日本のものづくりはダメだと、言われながら久しいのに、日本の液晶がサムスンにやられた事を、これでは何も学習が出来ていなかったのだろう。
日本のメーカーに奮起して欲しい。というより、先読みや先を読んだ営業力。

日本の液晶の技術を残すために、国がかなりの支援していたが、やはり支援事業に頼らない体質が日本の技術企業は必要なのかもしれない。伝統工芸の業界も同じだろう。

前にも書いたが
大切な事は「消費者に向き合う仕事」に務める事
posted by 漆ネット at 12:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHK朝ドラ「あさが来た」で見つけた「かんざし」で(2)

ドラマではもうすでに髪飾りも明治にかわり、変わりましたね。

前回の投稿の写真の髪飾りの事について詳しく書いておきます。
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写真の 蒔絵櫛こうがいの模様デザインですが
四君子文様(正確には五聖)です
※「四君子文様」
四君子文様(しくんしもんよう). 蘭、竹、菊 、梅の四つの花で四季を代表する草花を組み合わせた文様で、 平安時代から 日本の文化を感じさせる意匠のひとつ。
さらに詳しく書くと、この蒔絵には、背景を金地にしてあちこちを、べっ甲素材を見せるように抜いてある。それが松(松葉重ね)を感じる「粋」なデザインだ。
ゆえに、四君子に「松」が加わって「五聖」(ご せい)となる。

ついでに、写真には五代目武七(安太郎)の明治37年の塗師業の鑑札(全国に出かけるために必要な物)や、初代の武七の印鑑、 その他は、金の簪、髪飾りの珊瑚の髪留めなど 色々塗師藏の残り物等など。

江戸から明治大正にかけての地方町の小さな工房の昔を振り返るきっかけを「あさが来た」が作ってくれありがたい。
工房のWebサイト
http://makie.urushi-net.jp/makie/
posted by 漆ネット at 09:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NHK朝ドラ「あさが来た」で見つけた「かんざし」で

江戸時代からの塗師藏は、200年の歳月で数々の災害に耐えてくれて、色々な物を残してくれた。
例えば、北前船で 輪島塗を造り商いで旅した先祖がもたらした名残物が幾つか手元にある。
今回、その中の髪飾りの幾つかを「あさが来た」と重ねてみた。
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それらは、けっして特別なものではないが、先祖が身近にしていたものだから大切な品。

金で輝くかんざし、べっ甲蒔絵の櫛と笄(こうがい)で、子供の頃から先祖達が使っていたものだと聞いていたので、心に残っている物の一つ。
戦後食料難で色々なものが食料に変わって、多くの物を無くしてしまったが、先祖が愛用していたものは、どうしても手放すことは出来なかったのだろうか少しだけ残った物だ。
数年前に櫛かんざし美術館の所蔵展が輪島で開かれた時に、それらを見てもらったら、金のかんざしと櫛笄は同じ頃の江戸時代と考えられる。べっ甲素材も良いものだと聞くことが出来た。
蒔絵は専門なので、それほどの物ではない事が私も判るが、蒔絵師の名が入れられていて、また共の笄の細工が丁寧な手わざを感じて、次の代に残せるものとして大切にしたいと思っていたものである。

登場人物は江戸の名残で上品な髪飾りがされていた。ドラマでは時代が変りもう見れなくなってしまうが、その髪の飾りを見て、思うのは私の漆業を営んできた先祖武七の妻を思う心と、代々の妻たちがどの様に身を整えていたのか、思い浮かべられて番組「あさが来た」を興味深く見る事が出来た。

次には、「あさが来た」の座敷のシーンで置かれていた漆塗蒔絵鏡台を取り上げます。
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2015年11月27日

朝ドラ「あさが来た」人気のポイント

朝ドラ ファンとして「あさが来た」人気のポイントを読み取ると、描かれている時代やテーマが現代につながっていて興味深い。

江戸期両替屋や呉服商の大店で現代まで日本の経済の重要なポストにある旧財閥の家族を主役に、江戸から明治大正にかけての経済活動、また海外から学ぶ時代を描いているのだと思う。
期を同じく大河ドラマも同じ時代を描いている事もあり、さらに興味を引くのであろう。

けれども、明治大正にかけての時代は、身内である祖父や父母の生い立ちや生きていた時代でありながら以外に知られていない。
NHKの「ファミリーストリー」という番組も中々面白く、繋がっているようでも100年ほど二代三代と遡ると意外にも判らないらしい。そこがその番組の面白さだ。
そんな物語だけの事ではなく、ふりかえると私達の前の時代の人や先代達は、人を頼ることもありながら果敢に時代を読みながら立ち向かっていたようだ。
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わたしの工房も、江戸寛政時代からだからその塗師藏に残った跡から、色々なことが見えてくる。

そんな事を書き連ねて、今後の漆業のあリ方を考えてみようと思う。

江戸寛政年間からの漆蒔絵工房のホームページを現在制作中
http://makie.urushi-net.jp/makie/
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2015年08月12日

世界の一流品と日本の製品

世界の一流品といわれるブランドメーカーの商品やものづくりは、自分たちの商品はこの様に作りたい。またこうあるべき、とした商品コンセプトをしっかり持っている。
また、新作に関してもそのデビュー待っている顧客を常に意識している様に思う。

私は、スイスのバーゼルをはじめとする高級装飾品の発表の場や、欧州での制作の現場を実際に見る機会を持ってみると、日本製品に、どうしても疑問を持たざるをえないのだ。

100年以上前の海外で開かれた万国博覧会で紹介された、日本の工芸の気迫はどこに行ったのだろうか。
それらの工芸はデザインはともあれ、技術は世界の人達を驚かした。前にも書いたように海外の有名な工芸家や画家に影響を与え、欧州でジャポニズムを生んだ。その当時の日本の工芸家や職人達は、今まで自分たちの装飾や技術を認め対価を払って制作品を求めてくれていた、大名や元禄の時代の商人達が、幕府が倒れ時代の変化から、今までの仕事先を失って、相手が見えないながら日本の政府の意向もあり海外に販路を広げるために、海外の万国博覧会に活路を見出そうとしたのである。
その事は輪島のような地方の小さな町にもその足跡が残っている。

その様な時の出品は、顧客が見えないので、技術の粋を尽くした作品や、とりあえずわざを見て欲しいという出展であった。だから名工や工芸家として名の通った名品もあったが、デザインと技のバランスの良くない物もあった。

何を言おうとしているかというと、相手が見えず制作された物には何処か違和感のある制作になってしまうものであり、制作物にその技を使う根拠さえ見失って、その技だけが独り歩きしてしまう事もあるのだ。

どうもこの頃の日本のメーカーの世界市場を狙った製品に、そんな傾向を見る。しかもその技自体が?なのだ。
しかも、エンドユーザーと向き合うのではなく、売ってくれる販売業者を意識しすぎている様に思う。
その点、世界の名品を生み出しているブランドや工房の制作には、自分達の制作品を待っているエンドユーザーや、その人達と繋がっていて、自分達のものづくりの良さを十分理解しているバイヤーと向き合った仕事をしている。
また、現在の日本の仲介業者の見極めの甘さや認知度の低さもものづくりの現場を狂わしている。
そんな事を警告する人がいるのだろうか。もしもそんな声が聞こえてきても、修正できないほど制作の現場とマーケッティングのバランスが崩れているのだと思う。それが日本の大手のメーカーの製品にも感じられる。

次回から伝統工芸に戻って書く事にする。
posted by 漆ネット at 23:50| Comment(0) | 職人 工芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月07日

世界の一流品に学ぶ事(2)

世界のブランドとしてエルメスを挙げてしまったが、エルメスは?である。
何故かと言うと、テレビ番組で日本の伝統の技で装飾した腕時計を見てしまったのだ。
それは、制作に至った発端からその装飾の制作経過も含め、今年のバーゼルで展示された様子までカメラが取材し番組になったものである。
それは、エルメスのプロデューサーから持ちかけられた企画ではない事は、感じられるのだが、それにしては残念な仕上がりであった。
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それは、日本の仲介者に問題がある。
フランスのブランドメーカーに、伝統工芸の産地の技を紹介する為に、日本に来て制作の現場を見て欲しいと案内を出したのである。そこでエルメスが腕時計のデザインで日本の工芸の技を使ってみたいと言う話を聞き、陶器の赤絵九谷を繋いだのである。
制作に繋がった上絵師の問題では無い。径3センチほどの文字盤に筆を走らせてこの様な絵を描くには、従来使っている筆の中でも最も繊細な絵を描ける筆をもってしても無理なはずで、結果がこの様な仕事になってしまった。
絵師もエルメスと馬具の事を知って、日本の流鏑馬の絵をデザインにしょうとした思いは判るが、その時には筆や従来の上絵の釉薬では描けないと思わねばならなかったのに、残念である。

またまた長くなってしまったが、先にも書いたように、良いものが商品になるには、仲介者の目利きの技量がが必要だ。

エルメスのプロデューサーは、この時計の仕上がりでバーゼルへ出すなんて。だから、脇の甘いエルメスに?をつけてしまった。けれど日本のそれぞれのトップメーカーの伝統工芸の装飾の利用(欧州の販売会社の社長の表現)から見たら、全然許せる範疇?である。

(続く)

posted by 漆ネット at 21:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする